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富山地方裁判所 昭和28年(ワ)55号 判決 1956年4月19日

原告 中岩伝蔵 外一名

被告 嘉藤悦郎 外一名

主文

被告等は、原告中岩伝蔵に対し、金四七万六〇八〇円同中岩アヤに対し、金三七万五〇〇円及び夫々右金員に対し、被告嘉藤悦郎は、昭和二八年三月三〇日から、同富山地方鉄道株式会社は、同月二九日から、各支払済みに至るまで、年五分の割合による金員を支払いせよ。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、被告等の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

被告等は、原告中岩伝蔵に対し、金五二万一五〇〇円、同中岩アヤに対し、金四〇万円及び、夫々について、被告嘉藤悦郎は、昭和二八年三月三〇日から、同富山地方鉄道株式会社は、同月二九日から、支払済みに至るまで、年五分の割合による金員を支払いせよ。

訴訟費用は、被告等の負担とする。

との判決を求めた。

第二、請求の原因事実

一、被告富山地方鉄道株式会社の運転手である同嘉藤悦郎は、昭和二六年一一月二九日午前一〇時頃、被告会社の貨物電動車モニ第六五七一号一輛を運転し、同会社立山線稲荷町駅から、同線山室駅に向けて南進し富山市栄町踏切を通過しようとした際、原告中岩伝蔵所有の自動三輪車(富六ノ二九号ダイハツ型タンク三輪車)を操縦して同踏切を東から西に横断しようとした訴外亡中岩一雄に衝突した。そのため、同人は、右三輪車諸共、右電動車の前部に激突し、右踏切から南方約四〇米まで線路上を引ずられ、同三輪車は大破し、同人は、脳底骨折及び前額部側頭部、歯部挫創等を負い、右傷害の結果、同日午後四時三〇分頃死亡した。

二、ところで、本件交通事故は、次にのべるような被告等の過失にもとずくものである。

(一)  前記稲荷町駅から栄町踏切までの線路は、東西両方面とも視界を遮る障碍はなく、同踏切は比較的見通しが良いから、電車を運転し稲荷町駅から右踏切に向つて進行する際、前方注視を怠らなければ、同踏切より相当距離ある地点から同踏切を横断しようとする車馬、通行人の動静を知ることができるので、運転者は、前方を注視して車馬、通行人の動静に気をつけ、その動静如何によつて、注意喚起のため、右踏切の手前で、警笛を吹鳴し、或は更に何時でも踏切前で急停止出来るように減速の上進行する等して、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があると、いわなければならない。それにも拘らず、被告嘉藤は、この義務に違背して前方を注視せず、訴外一雄が同被告の運転する貨物電動車の進行に気付かずして栄町踏切を横断しようとしているのに、警笛も吹鳴しないで漫然と時速約五〇粁の速度で本件踏切を通過したため、右事故が発生したのである。

(二)  被告嘉藤が運転した右電動車には、旧式のSME改造型制動装置を施してあるが、この装置は、制動管が折損すると制動が利かなくなり、急停止出来ない欠陥がある。そのため、当時通産省の指令によりAMM型制動装置に改造する必要に迫られていた。従つて被告会社は、このような旧式の制動装置のある電動車は、危険であるから運転してはならない義務があるにも拘らず、被告嘉藤に運転させたため本件事故を惹起した。

(三)  右栄町踏切は、南北に走る線路が東西に通ずる道路と十字に交叉している所で、踏切より東方の道路にはその北側踏切の近くに人家が一軒あるだけであるが、踏切より西方の道路にはその両側に沿つて人家が密集し、右東方道路は、富山県立中央病院や、東部小学校への通路である関係上、右道路を通行して本件踏切を横断する者は、多数に上るわけである。従つて被告会社は、本件踏切通行人の安全保護のため、警報器、遮断機の設置等の適当な保安設備を施して事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。それにも拘らず、被告会社は、終戦後本件踏切の交通量を測定し、その結果にもとずき右のような適当な設備を施したりすることをせず、無設備の第四種踏切として放置していたのであるから、被告会社には前示注意義務を怠つた過失がある。本件事故は被告会社の右過失により惹起したのである。

右の通りであるから、民法第七〇九条により、被告嘉藤は右(一)の過失につき、被告会社は同(二)(三)の過失につき、更に同法第七一五条により、被告会社は、同嘉藤の右(一)の過失について使用者として、夫々損害賠償責任を負担しなければならない。

三、本件事故によつて原告等の受けた損害は次の通りである。

(一)  右中岩一雄は、死亡当時満二〇年の身体壮健な独身者で、原告等の下で、衛生業に従事して一ヶ月金一万五〇〇〇円、純益にして一ヶ年金五万円の収入を下らなかつた。そこで、厚生大臣官房統計調査表によると二〇年の男子の平均余命は平均四〇年であるから、本件事故により同人の蒙つた損害は将来四〇年にわたり、一ヶ年収入金五万円の継続的年収の総額である。これを一時に請求するとすれば、ホフマン式計算法によつて中間利息を控除するのが相当であり、金一〇八万二〇〇〇円が一時に請求できる金額である。

原告等は、右一雄の実父母で、その法定相続人であるから右損害賠償請求権を、相続によつて取得した。よつて原告等は、被告等に夫々うち各金三〇万円の賠償を請求する。

(二)  原告等は、右一雄の死亡により、精神上多大の苦痛を受けその損害は、原告等夫々金二〇万円を下らない。そこで、原告等は、被告等に対し夫々うち各金一〇万円の支払を求める。

(三)  以上の外原告中岩伝蔵は、同人の葬式費用として、金二万一五〇〇円を支出した。これまた本件事故に基く損害であるから、被告等に対しその賠償を求める。

(四)  右一雄が乗つていた前記自動三輪車は、原告中岩伝蔵の所有物であつたが、本件事故により修繕不能にまで、損壊した。そして右車の時価は、金一四万円であるから、うち金一〇万円の賠償を請求する。

四、よつて、被告等に対し、原告中岩伝蔵は、前記(一)乃至(四)の合計金五二万一五〇〇円、同中岩アヤは前記(一)、(二)の合計金四〇万円及び夫々に対し、本件訴状の送達の翌日(被告嘉藤については、昭和二八年三月三〇日、被告会社については、同月二九日)から、右各支払済みに至るまで、年五分の割合による損害金の支払を求める。

第三、被告会社の抗弁に対する原告等の答弁

被告会社主張の抗弁事実は争う。

第四、被告等の答弁

一、原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求める。

二、請求の原因事実に対しては次のとおりのべる。

(一)  原告等主張の請求原因事実中、一、の事実は認める。

(二)  同二、のうち(一)について

被告嘉藤は、本件踏切通過に際し、同踏切の手前一二二米位の地点で、警笛を吹鳴し、時速四〇粁に減速して進行したのに、中岩一雄が道路交通取締法第一五条により車馬通行者に対し命じた一時停止の義務に違反して右踏切を横断した結果本件事故を惹起したものであつて、被告嘉藤には何等の過失がない。なお、原告等の主張するように、すべての踏切を通過するとき、一々踏切の手前で、何時でも停車できるように速度を落して運転する義務があるとするなら、高速度を使命とする鉄道営業は麻痺状態に陥り、到底その使命を果し得ない。勿論高速列車は、踏切平面交叉点を通る時は、列車の近接を警笛で踏切通行者に注意警告する等の安全措置を執るがそのために踏切通行者をして列車に優先して安全に通行せしめなければならない筋合のものではない。

(三)  同二、のうち(二)について

原告等は、SME改造型制動装置は、旧式であるというが、同装置は、単車又は、二、三輛程度の連絡運転に適したもので全国的に広く採用されているものであるから、決して旧式のものではない。そしてその作用も何等支障がなく、制動管が折れた場合は自動的に急制動がかかるようになつて居り、原告等の主張するように制動管の折損により制動が利かなくなるような事はない。従つて、通産省よりAMM型制動装置に改造方指令されたことなく、陸運局も使用を認めているのであつて、被告会社において右SME改造型制動装置のある電動車を運転させてならない義務を負つているものでない。

(四)  同二、のうち(三)について

本件事故当時、本件踏切に警報器、遮断機等の保安設備のなかつたことは認めるが、所謂第四種踏切としてこれに踏切警標(欧文×印標の外に予告標及びふみきりちゆうい標)を設置し、一般踏切通行者の注意を喚起していたのである。踏切保安の設備は、その交通量や踏切見通条件によつて決めるのが一般で、本件踏切も、当時交通量は少く、かつ、見通条件も踏切から七米の道路上地点で左右の視界が充分開けていたから、踏切警標以外に特別の設備を必要としなかつたわけである。

以上これを要するに、被告嘉藤は貨物電動車の運転手として相当の注意義務を尽していたし、右電動車に設置されたSME型改造制動装置は決して廃棄されるべき旧式のものではなく、本件踏切は、それに相応した保安設備がされていたのであつて、本件事故の原因は、一に、右中岩一雄が本件踏切を横切るとき、一時停止義務を怠つたことにある。

(五)  同三、の事実中、原告等の身分関係のみ認めその余の事実は争う。

第五、被告会社の抗弁

仮りに被告嘉藤に過失があり、被告会社はその使用者として原告等に賠償責任があるとしても、被告会社は、同嘉藤の選任及び其の事業の監督について相当の注意をなしたし、かつ、相当の注意をしても損害を生ずる場合に該るから、被告会社には、賠償責任がない。

第六、証拠関係(省略)

理由

一、原告等主張の請求原因事実中、一、については、当事者間に争がない。

二、そこで被告等に原告等が同二、で主張するような過失があつたかどうかについて順次考按する。

(一)  被告嘉藤悦郎に運転手として過失があつたか、どうかについて。

(1)  検証(第一、二回)の各結果によると、富山市栄町の踏切(以下本件踏切と略称)は、被告富山地方鉄道株式会社の経営する立山線の稲荷町駅から山室駅に至る北南に走る路線と、東は富山県立中央病院前に至り、西は富山市東新地中の丁に至る東西に通ずる巾員約六米の道路とが、十字に交叉している所で、本件踏切附近は、その西側は一帯に人家が稠密であるが、その東側は、本件踏切の東北側に道路に南面して訴外金子外志雄方居宅のある外、一面田圃になつており、右立山線の線路は、本件踏切の北方においては約六十米は直線で、それより北西から南へ、ゆるいカーブを描いて敷設されているため、同線を稲荷町駅から本件踏切に向け南進する際、同線路上より本件踏切附近に対する見通し状況は、本件事故当時警笛標の存在した地点(本件踏切より北方約一一五米の地点)において、本件踏切の西側道路は本件踏切より西方十三米位まで見通し良好であり、東側道路は、本件踏切から東へ約二米の地点から、更に東へ約二五米の地点の間は、前記訴外人方居宅に遮られ自動三輪車、人の通行が認められない外は、視界を遮るものがないので、その見通しは良好であることが認められる。

(2)  被告嘉藤悦郎は、昭和二六年一一月二九日午前一〇時頃貨物電動車モニ第六五七一号一輛を運転して訴外立花秀夫を車掌として同乗せしめ、右稲荷町駅を発車し、後記認定のように訴外亡中岩一雄を発見して急停止の措置に出るまでの間、時速約四〇粁米の速度で進行したことが、証人立花秀夫の証言及び被告嘉藤悦郎の尋問の結果により認められる。

(3)  証人竹腰平吉、竹腰勉、沢田与作の各証言によると、本件踏切の東側道路上を肥料桶を積んだ荷車を曳いて東方に向け進行していた訴外竹腰平吉は、本件踏切より東方約一五米の地点で、同道路を自動三輪車に乗つて本件踏切に向い西進する訴外亡中岩一雄と擦違い、更に本件踏切より東方約二〇米の地点に行つた時後方で「どん」という音を聞いたので、振返つてみたところ右一雄の自動車と電車とが衝突していたこと、右平吉は、本件踏切を西より東に横断して東方道路を進行していたのであるが、同人が横断する際訴外沢田与作も自動三輪車を運転して本件踏切を横断し、又訴外竹腰勉も右平吉の後一〇米位離れて肥料桶を積んだ荷車を曳いて同方向に進行し、本件踏切を横断していること、右竹腰平吉、竹腰勉、沢田与作は、本件踏切を横断する際北方及び南方を見たがどちらからも電車の進行して来るのを発見せず、又本件踏切を横断する前及び横断してから本件事故が起きたまでの間に警笛の鳴る音を聞いていないことが認められる。

(4)  証人中岩秀次郎の証言によると、本件踏切より約一〇〇米東北方の地点に設置された肥溜附近にいた訴外中岩秀次郎は実弟であつた右一雄が右肥溜附近より自動三輪車を運転して本件踏切に赴くのを見ていたが、右一雄の自動三輪車が訴外金子外志雄方家屋の陰にかくれた時、稲荷町駅より本件踏切に向つて警笛も鳴らさず相当早い速度で走つて来る電車一輛が右金子方の北西角にさしかかるのを発見し、間もなく電車が何かにぶつかつた音を聞くとともに、電車が本件踏切より約四〇米位南方にある小川を渡つた所で停止するのを見たので、右停止場所に馳けつけて見ると訴外一雄が線路の傍に横倒しになつていたことが認められる。

(5)  証人竹腰平吉の証言によると、訴外亡中岩一雄は、セカンドの速さ(セカンドの速きとは時速一五粁米から二〇粁米のことであることは公知の事実である)でその自動三輪車を運転し本件踏切に向つて進行していたことが認められる。

(6)  被告嘉藤悦郎本人の尋問及び検証(第一、二回)の各結果によると、被告嘉藤悦郎は、本件踏切の北方約一三米の辺りで初めて本件踏切の東方道路上同踏切より約七米の地点に、自動三輪車に乗り同踏切に向つて進行する訴外一雄の姿を発見したので、直ちに急停止の措置を講じたが及ばず、同被告の運転した電車は右一雄に衝突したまま同踏切より南方約四〇米位の附近で停止したことが認められる。

(7)  前掲被告本人尋問の結果によると、本件事故当日は、小雨が降つていたので、視界は狭く良好でなかつたことが認められる。

証人立花秀夫の証言及び被告嘉藤悦郎本人の尋問の結果には同被告が本件衝突前、前記警笛標附近において警笛を吹鳴した旨の供述があるが、右供述は、前記(4)に掲げた各証言に照して信用できないところであり、他に前記各認定を左右するに足る証拠はない。

前記各認定の事実によつて考えると、被告嘉藤悦郎は、電車を運転して稲荷町駅より本件踏切に向つて進行した際、本件踏切より北方約一一五米の警笛標の存在した地点に来た時から、前方本件踏切と交叉している道路上に充分の注視を払つていたならば(本件踏切の西側道路は、本件踏切より西方一三米の間遮蔽物はなく、それより西は人家によつて視界が遮られるのであり、東側の道路は、本件踏切より東方約二米の所に訴外金子外志雄宅が迫つて居り、同宅より東方には視界を遮る物がないのであるから、東側道路上に注視の重点を払うべきである)、訴外中岩一雄が自動三輪車に乗り東側道路を本件踏切に向つて西進している姿を、右訴外金子宅に遮られる前に発見できた筈である(前記(4)に認定した訴外中岩秀次郎が見た訴外一雄の自動三輪車の位置と電車の位置との関係、右自動三輪車と電車との事故前における各速力より、電車が警笛標の所に進行して来た場合に推認される右自動三輪車の東方道路前進行地点等によつてこのことは明らかである)のに、本件踏切の北方一三米の辺りまで進行して来て、初めて東側道路上本件踏切より約七米東方の地点に進行して来た訴外一雄の姿を発見したのであるから、被告嘉藤においては前方注視を怠つたといわなければならない。尤も事故当日小雨が降つていて視界は狭かつたこと前記(7)に認定の通りであるが、本件踏切附近の見通し状況前記(1)に認定した通りであることから考えると、被告嘉藤が、東側道路上に充分注視を払つていたのに、雨の為、訴外金子宅に遮られる以前に訴外一雄の姿を発見できなかつたとすることはできない。そして、被告嘉藤において、訴外金子宅に遮られる前に訴外一雄の姿を発見していれば、同人が電車の進行に気付いていないことを確め得たかも知れないし、その時はこれに応じ又このことを確め得なければそれに応じ、特に警笛を鳴らして電車の進行を気付かせたり、或は場合によつては減速して直ちに急停止できるようにして運転して行くということにして本件事故発生の防止に萬全の措置を講ずることができた訳である。従つて、被告嘉藤において前記のように前方注視を怠つたということは、本件事故の発生原因となること疑ない。

次に前記認定、(3)、(4)の事実によると、被告嘉藤は、本件踏切に向つて進行した際、踏切を横断しようとする者に対し、電車の進行を警告すべき警笛の吹鳴を怠つていたことになる。警笛を吹鳴して居れば、訴外一雄において被告嘉藤の運転する電車の進行を知る訳であるから、本件事故は発生しなかつたと考えられるので、同被告の警笛吹鳴を怠つた行為も本件事故の原因であること明白である。

電車を運転する者は、衝突事故の発生を防止する為、前方に充分の注視を為すべく、又踏切を通過しようとする時は警笛を吹鳴して、踏切横断者に電車の進行を警告すべき業務上の注意義務を有すること言うまでもないことであるから、本件事故は被告嘉藤が右注意義務に違反した結果発生したものと言わなければならない。

(二)  被告会社が同嘉藤をしてSME改造型制動装置のある右電動車を運転せしめたことに過失があつたかどうかについて。

(1)  右電動車の制動装置が、SME改造型制動装置であることは当事者間に争がなく、右衝突と同時に制動管三本及びブレーキビームを折損したことは、証人松田幸晴の証言及び被告嘉藤本人の尋問の結果により認められる。

(2)  ところで、原告等は、右装置は、制動管が折損すると、制動が利かなくなり急停止出来ない欠陥があるというが、右主張を肯認するに足る証拠はなく、寧ろ却つて鑑定人間瀬政明の鑑定の結果や、右(1)の各証言及び尋問の結果によると、本件のように同時に三本の制動管が折損したときは、非常管内の圧力空気の排出により自動的に非常制動が作用することが認められ、右認定に反する証拠はない。

(3)  そうすると、右制動装置の型式が旧式に属するかどうかは兎も角として、右のような装置のある電動車の使用が原因して、本件事故が起つたか、又は、それが増大したことが立証されない本件にあつては、結局右の使用と、本件事故とは直接にも間接にも関係がないことになり、原告等のこの主張は採用の限りでない。

(三)  被告会社に本件踏切に保安設備を設置しなかつたことに過失があつたかどうかについて。

(1)  被告会社は、当時本件踏切を第四種踏切として扱い、警報器、遮断機等の設備をしなかつたことは当事者間に争がない。

(2)  公文書であることにより真正に成立したと認め得る乙第一号証(「地方鉄道及び専用鉄道の踏切保安設備設置標準について」)、証人池下憲一、高野清の各証言によると、被告会社は昭和二〇年以后、三年に一回の割で踏切の交通量の調査をしたが、本件踏切については本件事故発生后である昭和二七年五月と六月の二回に亘つて初めて交通量の調査をしたこと。その結果は、五月の分は人一〇四二人、自転車三四九台、荷車七台、馬車一四台、自動車四一台、六月の分は、人一二三〇人、自転車五九五台、荷車一八台、馬車六台、自動車三六台となつたこと。当時被告会社を含む私鉄は、踏切保安設備設置標準がなく、被告会社は、国鉄の標準に準拠していたがその交通量換算率は、昭和二七年六月一七日までは、人、一。自転車、二。牛馬及び荷車、三。牛馬車、五。自動車(自動三輪車を含む)七。同月一八日改訂の換算率によると、人一。自転車、二。荷車及び牛馬車、三。自動車(自動三輪車を含む)三〇。の各割合で、従つて右交通量を夫々換算すると、旧率によると五月分は、二二二一。六月分は二七三六。改訂率によると、五月分は、三一四六。六月分は、三五五二。になること。そして、同標準には、右交通量を換算したものの外に、踏切通過の列車の回数と、踏切見通して難易がこれに加味されるわけで、本件踏切についても、列車回数六〇回、見通しは、五〇米以上として計算すると、いづれの交通量換算率によるも前記五月六月両月分の調査の結果は六〇〇〇以下の第一種ないし第三種としての踏切保安設備を必要としない第四種の踏切となることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(3)  そして、同各証言によると、本件踏切の交通量は、年々増加の傾向にあつたことも認められるから、昭和二〇年頃から本件事故当時まで、本件踏切の交通量の調査をしなかつたとしても、はじめて調査した右各月より交通量は少いと推認されるから、結局、当時においても警報器、遮断機等の保安設備の設置を要しない第四種踏切として取扱えば充分であつたわけで、従つて、被告会社に、踏切保安設備設置について何等の過失もない。よつて原告等の右主張は採用しない。

(四)  被告会社の主張する抗弁について考按する。

(1)  被告会社に被告嘉藤の選任監督について過失がなかつたかどうかについて。

証人高見勇の証言により成立の認められる乙第二号証の一ないし六同第三号証の一ないし一一、同第四号証の一ないし七や同証言、証人中森徳男の証言によると、被告会社は本件事故当時、被告嘉藤の業務上の指導監督を、間接には運転課長訴外中森徳男、直接には、運輸課上市分室主任訴外高見勇をして夫々当らせていたこと。同会社は、運転手の指導監督のため、印刷物を配布したり、直接勤務状況を視察して注意を与えたり、或は又、右分室では月二、三回、同会社では二月に一回の割合で運転手の常会を開いて種々の注意事項を伝達し、現場一般が注意すべき事項を衆知させていたことが認められるが、被告嘉藤本人の尋問の結果によると、同被告は立山線の常時運転手でなく、同線を運転した経験は、二年前運転手見習期間中一五、六回と、本件事故当日の一日程前に一回しかないもので、しかも客車運転手でありながら貨車電動車を運転したのであるから、被告会社は、右嘉藤の業務の執行に対し如何なる監督を尽したかを立証しない本件にあつては、右事実のみでは、民法第七一五条第一項但書に所謂事業の監督につき相当の注意を為したるときというのに該当しない。尚従つて選任の過失の有無についての判断を省略する。

(2)  被告嘉藤の選任及び事業の監督について被告会社において相当の注意をしても損害が生ずべかりし時であつたかどうか。

右の事実について被告会社は何等の立証をしないから、右主張は採用の限りでない。

(五)  以上のとおりであるから、右中岩一雄の本件事故死は、結局被告嘉藤の運転手としての注意義務に違反したために生じたもので、その損害について被告嘉藤は、民法第七〇九条、被告会社は、右嘉藤の使用者として、同法第七一五条により損害賠償の義務を負わなければならない。

三、そこで、進んで損害額について考按する。

(一)  成立に争のない甲第七号証及び証人中岩秀次郎の証言によると右中岩一雄は、死亡当時二〇年で、衛生業に従事し、その収益が一ヶ月金一万五〇〇〇円を下らなかつたこと、従つて一ヶ年金一八万円の収入から、同入の生活費を控除して少くとも金五万円の収入があつたことが認められる。そして、満二〇年の男子の平均余命は四〇年以上であることは当裁判所に顕著であるから、結局、四〇年を通じて継続して一ヶ年金五万円の得べかりし収入があることになり、これをホフマン式計算法で中間利息年五分を差引き事故当時における一時払額に換算すると金一〇八万二〇〇〇円になる。

(二)  ところが他方、鉄道営業は、顧客の便宜のため、高速度をその使命としているから、それに伴う危険度も高くなるわけで、これをすべて営業者にのみ負担させることは妥当でないこと明白である。従つて、鉄道の利用者は勿論のこと、踏切の通行者など一般人も、その運行に協力し、危険の発生を未然に防止しなければならないこと当然である。とりわけ本件踏切のように、警報器、遮断機等の踏切保安設備が特別設置されてない第四種の踏切を横断する場合は、通行人自らも、踏切の手前で一時停止して、踏切を横断しても安全であるかどうかを確認した上で、通行する義務があると言わなければならない。道路交通取締法第一五条が、車馬又は軌道車に対して、鉄道又は軌道の踏切を通過するに際し、安全かどうかを確認するため一時停車を命じた法意も、右の点にあるものと考える。さて、本件において、右中岩一雄が自動三輪車の運転者として同条によつて課せられた一時停車の義務を尽すことなく本件踏切をそのまま横断しようとしたことは、証人立花秀夫の証言や、被告嘉藤本人尋問の結果に徴し明白であり右認定の妨げとなる証拠はない。そうすると、本件事故の原因に右中岩一雄の右過失も加えなければならず、右は賠償額を定めるため斟酌すべきこと当然である。よつて右中岩一雄の得べかりし損害は、右金額の半額である金五四万一〇〇〇円を相当と認める。そして、原告等が右一雄の直系尊属で法定相続人であることは当事者間に争がないから、原告等は各金二七万五〇〇円を相続によつて承継したことになる。

(三)  原告等は、実子である右一雄を本件事故によつて喪失したため、精神的な苦痛を受けたことは、推認に難くなく、さきに認定したように、一雄は衛生業に従事し、当時一ヶ年金五万円の収入のあつたこと。死亡当時満二〇年の壮健な男子であつたこと。本件事故が被告嘉藤と右一雄の各過失によるものであることその他諸般の事情を考慮しその損害に対する慰謝料は、夫々金一〇万円が相当である。

(四)  原告中岩伝蔵は、右一雄の葬式費用として金二万一五〇〇円を出捐したから、その賠償を求めるというが、成立に争のない甲第五、六号証によつて、その費用として金五五八〇円を支出したことが認められるだけで、その余の金額を認定するに足る立証がない。又その所有に係る自動三輪車が本件事故により大破して使用不能になり時価金一四万円の損害を受けたと主張するが、右自動三輪車の時価は、成立に争のない同第二ないし第四号証や証人中岩秀次郎の証言によると、たかだか金一〇万円であるとするのが相当である。

(五)  以上により結局原告中岩伝蔵が被告等に対し損害賠償として請求できる額は、合計金四七万六〇八〇円、同中岩アヤが被告等に対し請求できる同額は、合計金三七万五〇〇円となる。

四、結論

右の次第で、原告等の本訴請求は、被告等に対し原告中岩伝蔵は、金四七万六〇八〇円、同中岩アヤは、金三七万五〇〇円、及び夫々に対し本件訴状送達の翌日であること当裁判所に明白である被告嘉藤は昭和二八年三月三〇日から、被告会社は、同月二九日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める範囲で正当であるから、これを認容し、その余は失当として棄却するものとし、民事訴訟法第八九条第九二条但書を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 布谷憲治 野村忠治 古崎慶長)

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